情熱とお金

「情熱はお金を生むけど、お金は情熱を冷却させる」


これは

最近ある出来事があって私が辿り着いた気持ち 


大人になると

「この賞金のために頑張るぞ!」

という気持ちが湧き上がって来ることはあると思うけど

それは「情熱」というよりかはむしろ「やる気」


まだ幼い子にとって「お金」という概念や価値はほぼゼロに等しい

よって子供が何かに夢中になるのは「情熱」以外なにものでもないもの


私は息子のスケートボードへの想いは情熱1000%であると思っている

そしてその息子の情熱を絶やさないように慎重に向き合っているから、自分の在り方・言葉がけも気を付けているつもり


そんな息子はある時からスケートボードをプライベートスクールという形で教わるようになった

もちろんそこにはお金が発生します

そしてそのスクール料金が最近値上がりをしたことで、その値段が私には重くなってきたのは否めない


初めて値上がりした料金でスクールをした時

私の頭の中にとんでもない思考が入ってきた


「スクール料金分、きちんと技を習得してきてよ!

できるようになるまで、とにかくその技を練習して欲しい!」


この思考がよぎった時、私は

「最低だ」

と思った

そしてこれは私のやり方じゃない

私には無理があるやり方なんだ

と気づいた

(もちろん息子にはそんなことは言いませんでしたよ)


子供にとってお金の量なんてどうだっていい

ただ好きだからやっている

「どうか僕にスクールを受けさせてください」なんて我が子から頼まれましたか?

全ては親の都合


もし私に囁いてきた悪魔の言葉をそのままそっくり息子に伝え続けたら

きっと息子はスケボーが嫌いになり

辞めてしまう


スクール料金が¥100だったら

「好きにやってきなー」

それが¥10000になったら

「ちゃんとやってきて!」


なんて勝手な思考なのでしょう

なんて勝手な言い分なのでしょう


全ては親の在り方

親が「お金の量」に見合う結果を子供に勝手に求めているだけ


情熱はお金では買えない

だけど親がひとたび「お金」に支配されると子供の情熱を一気に冷ましてしまう


これはスクールが悪いという話ではなくて

「お金」というものが親の在り方を変え、その矛先が一方的に子供に向かってしまう

そしてその結果子供の情熱が冷めてしまう

という話し





「好きにやってきな!自由に楽しんで!」


いつだってそう言える親でありたいと思う今日この頃





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